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創業者アニータ・ロディック

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<略歴>

生年月日   1942年10月23日
没年月日   2007年9月10日
結婚   1970年、夫はT・ゴードン・ロディック
子ども   1969年ジャスティーン、1971年サマンサ誕生
  1994年マイヤ・ホピ、1998年アティカス・フィンチ、1998年オーシャ・ソフィア・ブルーベル誕生
学歴   モード・アレン女子中等学校(リトルハンプトン)、ニュートン・パーク教育大学(バース)卒業


<職歴(1962-76年)>

インターナショナル・ヘラルド・トリビューン社資料部(パリ)
英語と歴史の教師(イギリス)
国際労働機関(ILO)女性の人権部門(ジュネーブの国連機関)
レストランとホテルのオーナー経営者(リトルハンプトン)
1976年3月26日、イギリス、ウエスト・サセックス州ブライトンにザ・ボディショップを開店


<理事/取締役>

1984年〜   ザ・ボディショップ・インターナショナルPlc
1989年〜   ザ・ボディショップ財団
1994年〜   マザージョーンズ誌を発行するナショナル・プログレス財団(アメリカ)
1996〜1997年   ヒューマン・ライツ・ウォッチ(アメリカ)
1999年〜   ラカス協会(アメリカ)
2003年〜   核時代平和財団(アメリカ)


<後援団体>

1991年〜   シューマッハー・カレッジ・フォー・ヒューマン・スケール・エデュケーション
1994年〜   クリエーション・スピリチュアリティー協会
1996年〜   ボディ&ソウル(HIV、AIDSに感染した女性や家族を支援)
1998年〜   EMMA(少数民族メディア賞)
2002年〜   フィンドホーン財団カレッジ
2002年〜   マイ・エーカー・オブ・アフリカ(南アフリカ)
2004年〜   フォーギブネス・プロジェクト
2007年〜   C型肝炎トラスト
2007年〜   エマウス ハンプシャー支部


<受賞歴(抜粋)>

1984年   ヴーヴ・クリコ、ビジネス・ウーマン・オブ・ザ・イヤー
1988年   OBE(大英帝国勲章)
1988年   英国業界エディター協会、コミュニケーター・オブ・イヤー
1991年   世界開発教育センター、ワールド・ビジョン賞(アメリカ)
1991年   フィナンシャル・イブニング・スタンダード、優秀起業家分析賞
1992年   全米女性経営者協会、ビジネス・リーダー・オブ・イヤー
1993年   バンクシア財団、オーストラリア環境賞
1993年   メキシコ環境賞
1993年   全米オーデュボン協会賞
1994年   経営倫理ボトウィニック賞(アメリカ)
1994年   ミシガン大学、年間経営者賞(アメリカ)
1994年   デイリー・エクスプレス/モエ&シャンドン、ビジネス賞
1995年   女性事業開発センター、第1回女性パワー年間賞(アメリカ)
1996年   女性センター、リーダーシップ賞(アメリカ)
1996年   グレイツマン基金、アチーブメント賞(アメリカ)
1996年   慈善募金マネージャー協会、年間慈善家賞 (イギリス)
1997年   国連環境計画(UNEP) 、環境への注目賞
1998年   マーケティング・リテイル・デザイン賞
1999年   英国環境・メディア賞
1999年   オゴニ民族生存運動、名誉族長「オゴニの涙をぬぐい去った者」(ナイジェリア)
2001年   国際平和祈念デー機構、ウーマン・オブ・ピース
2003年   DBE (女勲爵士)
     


<故デイム・アニータ・ルチア・ロディック経歴>

アニータは1942年にイギリスの海辺の町、リトルハンプトンでイタリア移民の子として生まれました。ホロコーストの本を読んだ10歳のときから、早くも道義心で憤るようになりました。教師を目指して勉強しましたが、イスラエルのキブツで教育に携わったのをきっかけに、働きながら世界中を旅することになりました。イギリスに戻ってまもなく、母親にゴードン・ロディックというスコットランド人の若者を紹介され、すぐに親しくなりました。いっしょにリトルハンプトンでまずレストランを開き、それからホテルを始めました。1970年に結婚し、2人の子どもをもうけました。

1976年3月26日にザ・ボディショップをはじめたのは、ゴードンが馬で南北アメリカを縦断するあいだ、自分と娘二人が食べていく必要があったからです。このような事業の訓練を受けたこともなく、事業をしたこともなく、週に300ポンドの売り上げをあげろというゴードンの助言だけが手がかりでした。起業を生き残るための手段と考えて、創造思考が養われると固く信じていました。この第一号店の経営で、事業とは帳簿管理ではなく取引だということがわかりました。つまり、売買すること、お金を払いたくなるような、すぐれた商品やサービスを作り出すということです。アニータの経営の信条の正しさを裏付けるように、30年たった今、ザ・ボディショップは55の市場で2200店舗以上を展開するマルチローカル事業になりました。どうやってここまできたのか見当もつかないとアニータはいつも言っていました。

ザ・ボディショップが誕生したのは経済的に必要だったからだけではありません。アニータはそれまでの旅でさまざまな経験をしていました。世界各地の農村や漁村で工業化と無縁の生活を送る人々と過ごし、女性の体のお手入れの習慣を目にしました。また戦時中に倹約する母親を見て、小売業の慣習に疑問を感じました。詰め替えればいいのに、なぜ容器を捨てるのか。なぜ使いきれないほど物を買うのか。アニータは第二次大戦中の母親と同じように行動しました。ザ・ボディショップではなんでも再利用し、なんでも詰め替え、できるだけリサイクルしました。ザ・ボディショップの環境保護活動の基盤はこんな考え方から生まれたのです。

発想がいいだけでは成功しないことはわかっていました。タイミングも大事です。ザ・ボディショップが登場したのはちょうどヨーロッパが「グリーン」になりつつある時期でした。ザ・ボディショップはずっとグリーンが目印になっていますが、一号店の湿ったかびのはえた壁を隠すにはその色しかなかったのです。半年たたずに二号店を開きました。そのころゴードンはもうイギリスに戻っていて、「自己金融」でもっと店を増やすという方法を思いつきました。それをきっかけにフランチャイズ網が拡大し、ザ・ボディショップは世界中に広がりました。1984年には株式を上場しました。アニータはさまざまな賞をもらいましたが、こんなふうに話していたのは有名です。「理解できるものも、できないものもあるし、もらうべくしてもらったと思えるものも少しだけある」

企業には世界をよくする力があるとアニータは考えていました。ですからザ・ボディショップのミッションステートメントは最も大事な約束で始まります。「社会と環境の変革を追及し、事業を行うこと」。店舗と商品を使って人権や環境の問題を訴えています。

1993年にアニータはナイジェリアからきたオゴニ民族の代表団と会いました。オゴニは自分たちの土地を石油の探査や生産で破壊している巨大な多国籍石油会社のシェルに正義と償いを求めていました。NGOと手を組んで、活動への国際的な関心を喚起しました。悲しいことに、1995年、オゴニを代弁する主要人物だったケン・サロウィワら9人がナイジェリア政府に処刑されました。それでも活動は続き、ついに、投獄されていたほかの19人のオゴニの人々が解放されました。シェルは4年間容赦ない圧力を受けつづけて97年に経営憲章を修正し、人権尊重と持続可能な開発を約束しました。1年後には「利益と理念」広告キャンペーンを開始し、「事業に関係するもっと幅広い人々」の利益に配慮すると宣言しました。アニータはシェルに企業市民であることの本当の意味を考えさせるのにザ・ボディショップが一役買えたなら良かった、と思っていました。

2001年9月にはザ・ボディショップ、グリーンピース、その他の多数の団体や個人が展開する国際キャンペーンに加わり、化石燃料の燃焼と地球温暖化につながりがあること、風力や太陽光など再生可能なエネルギーの使用を含めた代替方法があることを訴えました。

事業とアニータ自身の関心が自然に交わる分野にコミュニティ・フェアトレード活動がありました。ザ・ボディショップは化粧品業界のフェアトレードの先駆者で、化粧品会社として初めて、天然原料や雑貨を直接コミュニティと取引する関係を築きました。20年以上前に始まったこの活動は、当初は「Trade – Not Aid(援助ではなく取引を)」と呼ばれ、アニータが監督しました。インドのひとつの取引先から始まり、今ではブラジルからザンビアまで20ヵ国以上で運営され、世界中の1万5000人以上の不可欠な収入源となっています。この取引で農家が金持ちになることはなくても、みずから選んだ生活を維持し、力を合わせて自治を達成できるとアニータは考えていました。

コミュニティ・フェアトレードの取引先の一例がガーナのトゥンテイヤ・シアバター組合です。最初にアニータとザ・ボディショップ財団が製粉機とナッツを割る設備を提供し、シアバターを採取しやすくするために支援しました。これにより、タマレ地域の女性たちは初めて安定した収入を確保し、教育や医療、自宅の建設や修繕の費用を賄えるようになりました。学校10校の建設と、設備や教員確保の費用にもあてられ、また安全な水道水や公衆トイレが利用しやすくなりました。国民の43%が世界銀行の定める貧困水準以下の収入で暮らすガーナでは雇用機会が限られており、トゥンテイヤは力づけられる事例です。

ザ・ボディショップとアニータがずっと一体のように見られてきたことはまちがいありません。アニータに強く感化されて、ザ・ボディショップはたくさんの人が共通の価値観をもって共通の目標を目指す世界的な事業になりました。それがザ・ボディショップのキャンペーン活動や商業的な強さを支え、主流企業とは違う際立った存在にしているのです。

この数年間が人生で一番おもしろい時期だと晩年のアニータは語っています。人間は年をとればとるほど過激になると考えていました。作家のドロシー・セイヤーズの「老いゆく女はこの世のどんな力をもっても止められない」という言葉が大好きでした。1999年11月には世界貿易機構(WTO)の役割に抗議するためにシアトルに飛び、「シアトルの戦い」を目にしました。

2000年には自伝の『Business As Unusual』(日本語版−『Business As Unusual ザ・ボディショップの、みんなが幸せになるビジネス。』、トランスワールドジャパン)を出版し、翌年にはグローバル化とWTOの権力の神話に挑む示唆に富んだ言葉を集めた『Take it Personally』を編集しました。

このような活動がおもしろく、また成功したことから、アニータはみずから活動家のための小規模なコミュニケーション・センターのアニータ・ロディック・パブリケーションズを始めました。「大量啓発兵器」を作っているという表現を好んで使っていました。それまでずっと熱意を注いできた人権、環境、独創的な反対行動を、さまざまなかたちやメディアで称え、推進しようという試みです。2003年に最初の2冊が出版されました。『Brave Hearts, Rebel Spirits: A Spiritual Activists Handbook』と『A Revolution in Kindness』です。2004年に『Troubled Water: Saints, Sinners, Truths & Lies about the Global Water Crisis』と『Numbers』を出版し、2005年に自伝の『Business As Unusual』に手を入れて再出版しました。

2001年には自分のサイトのwww.AnitaRoddick.com、2004年には社会活動サイトのwww.TakeItPersonally.orgを立ち上げました。同じような考えの人々を結びつけて、大勢の人を行動に駆り立てるインターネットの可能性に圧倒されていました。

晩年のアニータがとくに情熱を注いだのは支援していた2つの活動でした。ひとつは多国籍企業による搾取労働の防止を目指すもので、ナショナル・レーバー・コミッティーとともに活動していました。もうひとつはアンゴラ・スリーと呼ばれるアメリカの政治犯の解放を求めて人権活動団体とともに取り組んでいた活動です。この3人は1970年代に活動した黒人男性の政治活動家で、35年近くアンゴラ刑務所の独房に監禁されています。

2006年にザ・ボディショップがロレアルに買収されたとき、アニータはこう語っています。「ゴードンと私に言わせれば、これは間違いなくザ・ボディショップにとってこれ以上ない最高の30周年のお祝いです」

「ロレアルはザ・ボディショップのバリューズの真の支持者、支援者になりたいというビジョンのある経営方針を打ち出しています。社会変革活動、とくに人権、動物保護、環境、コミュニティ・フェアトレードを事業に組み込んだザ・ボディショップが実業界でいかに型破りか、ビジネスの言語を変えるのにどれほど貢献したかを理解しているのです」

アニータは取締役に残りました。2007年にはザ・ボディショップの店頭キャンペーンに参加し、コミュニティ・フェアトレードについてロレアルに助言しています。

2007年にアニータはC型肝炎に感染していることを明らかにしました。1971年に汚染された血液の輸血で感染し、2004年になってからC型肝炎と診断されたのです。アニータはC型肝炎トラストの活動にのめりこみ、後援者となって、啓発活動と政府に対応強化を求めるロビー活動に取り組みました。アニータらしく、自分自身の体験をきっかけに、重要な問題を社会に訴え、意識や政策に変化を起こす大規模なキャンペーンを始めたのです。

アニータは2007年9月10日に夫のゴードンと娘二人に見守られて息を引きとりました。世界各地から死を悼む声が殺到しました。いちはやく弔辞を寄せたイギリスのゴードン・ブラウン首相はこう語っています。「アニータは流行する何年も前から環境問題を訴えて、環境に配慮した商品を一般向けに販売して多くの人に影響を与えました。また、イギリス屈指の成功したビジネス・ウーマンであり、自分で会社を作って大きくしようと奮闘する全国の女性たちの励みになりました」

数多くのキャンペーンでアニータとともに活動したグリーンピースのエグゼクティブ・ディレクターのジョン・ソーヴェンはこう語っています。「アニータのまわりの人を触発する力は驚異的でした。(中略)従来と違う方法で事業活動ができるのではないかという考えで時代のずっと先を行っていました。(中略)真の開拓者でした」

コミュニティ・フェアトレードでザ・ボディショップにココアバターを供給しているガーナのクアパココーはこう述べています。「神があれほどインスピレーションを与える力をもつ人物を授けてくださったことに感謝しています。弱いもの、恵まれないものの成長への母であるアニータの愛は私たちの心に永遠に生き続けます。クアパココー・ファミリーも首長も人々も、ザ・ボディショップとともにバイェレボン地区に学校を建設する資金を支援してくれたアニータのことを忘れないでしょう。アニータが蒔いた種は成功と啓発という成果を生んでいます」